2016.12.08 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr.井上 晴洋

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr.井上 晴洋

Dr.Haruhiro Inoue

昭和大学 江東豊洲病院 消化器センター
センター長・教授

専門:消化器外科

   

35年目の研修医としてアスリートのように新たな挑戦を続けるDr.井上 晴洋

35年目の研修医としてアスリートのように新たな挑戦を続けるDr.井上 晴洋

医師になりたい!
将来の目標が明確になったきっかけとは?

「君もお医者さんになりなさい」。私がそう言われたのは、小学5年生のとき、父を執刀してくれた教授の先生からです。父は進行性の胃がんを患って、ある大学病院で手術を受けたのですが、退院することができないまま、病室のベッドで息を引き取りました。
「お医者さんになりなさい」と言われたのは父の手術の直後でした。あまりにも唐突だったので、戸惑ってしまいました。今考えてみると、その先生は、父を助けることが難しいとわかっていたのでしょうね。私たち家族に対して申し訳ないと思いつつ、「君が大きくなったら、お父さんのような難しい病気の患者さんを助けられる医師になってほしい」という願いを込められたのかもしれません…。
父を失った私の心の中で、「医者になる」という目標が芽生え、大きく育っていきました。しかし母が家計を支える状況でしたので、国公立大学の医学部を目指すしかありません。必死で受験勉強をして、なんとか医学部に入ることができました。
入学直後に思ったのは、「これがゼロスタートだ!」ということです。医学部での勉強は解剖学から始まります。受験勉強でどんなに優秀だった人も、それまで解剖学を学んだことはないんです。当時は「受験戦争」と言われていた時代で、厳しい競争の中でなかなか成果を出せなかったこともあって、どこかに「自分は落ちこぼれている」という感覚がありました。でも、「19歳の春でゼロスタートできる」と思ったら、気持ちがパッと明るくなりましたね。とにかく医学系のことが好きだったので、入学後は真面目に勉強をしました。特に、医学の勉強は手を抜きませんでした。

前向きに採血をした経験が
食道がんの手術にも役立った!

医学部で講義を受けたり臨床を体験したりするうちに、外科を目指そうと考えるようになりました。内科は学問としては面白かったのですが、受験勉強と同じで、たくさんの知識を記憶することに苦労しました。一方、もともと手先が器用だったので、たとえばピンセットを使って何かつまんだときも、ピンセットの先がふるえません。さすがに小さなものをつまむと少しふるえますが、「止まれ」と思うと、ピタッと止められるんですよ。それに、外科系の講義で術式や手技について説明を聞いていると、自分には外科が向いているとわかってきました。こうして「外科に進めば、医師として生き残れるはず」と考えるようになったんです。
卒業後、東京医科歯科大学の第一外科に入局しました。当時の研修医は無給に近く、東京で食べていくのは厳しい状態でした。その上、仕事はハードで、同期の先生の中には不満を言う人もいました。でも私は臨床の仕事が好きだったし、どんな仕事でも楽しく行うことができるように工夫していました。たとえば採血当番になると、朝早く病棟に行ってたくさんの患者さんの採血をしなければいけません。特に高齢者で血管が細い患者さんは、何度もやり直さないとうまく針が入らないことがあります。それでも「全症例、1回で終わらせる」という目標を立てて、真剣に採血をするんです。
こうして末梢の点滴を入れる感覚を磨いたことは、現在、私が食道がんの術者をするときに役立っています。反回神経のまわりを慎重に剥離するときや、何らかの理由でリンパ管にカニュレーションするときの感覚は、点滴で末梢血管をとるときと同じ感覚なんです。若い先生たちには、一見雑用と思えるような仕事でも、ぜひ前向きに取り組んでほしいと思います。そのためにも、自分なりに目標を立てて、それをクリアできるように工夫を重ねることが大事です。その経験は、将来必ず糧になるはずです。

New York(ニューヨーク), Cornell(コーネル)大学でのライブNew York(ニューヨーク), Cornell(コーネル)大学でのライブ

世界初の術式「POEM」を開発
その成功の理由は?

1992年に開発した「透明キャップによる内視鏡的粘膜切除術(EMR-C法)」は、胃の粘膜切除の方法として広く普及しています。消化器外科医の私が、内視鏡を使った新たな術式を開発できたのは、医局での下積み時代があったからです。胃がんや食道がんの手術前には、内視鏡で病巣の確認をするのですが、術者を務める外科の先生方は内視鏡をあまりやりたがりません。これは、私にとってはチャンスでした。積極的に内視鏡を担当したおかげで、手技が身につきました。
また、手術後の標本整理も大きな力になりました。手術で取り出した食道を伸ばしてガラスの板に貼りつける作業を、自分の手で何度も行ううちに、食道の粘膜や筋層の厚さやその状態を体の感覚でつかむことができたんですね。この経験は、その後自分が術者として食道がんの手術をするようになったときにも、また、EMR法の開発の際に粘膜だけを切除する方法を考える際にも役立ちました。標本整理を雑用だと考えるのでなく、体で覚えられる機会だと捉えて積極的に取り組んだことがよかったのでしょうね。
私は、アカラシアという病気の治療法として、POEM(経口内視鏡的筋層切開術)という術式も開発しましたが、これも下積みの経験があったからです。アカラシアとは、食道の出口の部分を輪ゴム状に包んでいる筋肉が締まったままになる病気です。従来の治療では、投薬で効果が得られない場合、手術を行って締まったままの筋肉を切っていました。ただ、食道の手術は患者さんの負担が大きい上に、完全には治らない症例もありました。もしも内視鏡を使って筋肉を切ることができれば、開胸手術が不要になるため患者さんの負担は激減する上に、従来よりも広い範囲を切ることができる。治療成績の向上も期待できました。しかし一般的な食道外科医は内視鏡のことがよくわからないし、内視鏡医は外科手術のことがわからない。一方私は両方を経験してきました。だからこそ倫理委員会で承認を得て、患者さんにも同意をいただき、世界で初めての手術を成功させることができたのです。

出会いの衝撃が、
外科医としてのあり方を大きく変えた

POEMという新しい術式が評価されたおかげで、これまで世界中の病院で手術を行ってきました。昨年は、25回も海外で手術を行いました。時差ぼけもあるので、正直つらいと感じることもありますよ。それでもアカラシアで苦しむ世界中の患者さんのために、少しでも役に立ちたいと。それに、アスリートのような感覚が自分の中にあるんですね。若い研修医の先生に、よく「私も35年目の研修医だから」と言うんです。教授という立場上、若い先生を指導していますが、私も毎日何かを学び、成長していることを実感しています。まさにアスリートと同じではないかと。新たな患者さんに出会うと、必ず新たなことを学べます。だから、多少つらいことがあっても世界中に出かけているんです。
アスリートのように日々の臨床に取り組む気持ちが強くなったのは、二人の先生の影響が大きいと思っています。一人は、心臓血管外科医の天野篤先生です。先生は2001年に昭和大学横浜市北部病院循環器センターの教授になりましたが、同じ年に、私も昭和大学横浜市北部病院に移りました。当時、私が胃がんの術者を務めたとき、肝動脈にがんが浸潤しているため、肝動脈を切除して血行再建する必要に迫られました。しかし、うまく進まず苦戦していました。たまたまその日、天野先生は病院にいて、しかも時間が空いていた。血行再建をお願いすると、引き受けてくれました。私は第一助手として、先生の血行吻合を見ることができました。まさに神の手でした。それを目の前で見られたことが幸せで、満足感がありました。おそらく、羽生結弦や内村航平のような一流のアスリートの演技を、目の前で見たときの感動と同じだと思うんです。たった1回の経験でしたが、今の自分のままではダメだ。外科医として一から立て直さなければと思いました。
もう一人は、昭和大学江東豊洲病院循環器センター長の山口裕己先生です。私が担当した手術中に、急遽内胸動脈の血行再建が必要になったのですが、血管が1ミリ程度と非常に細かったため山口先生にお願いしました。山口先生は、その難しい血管吻合を一発で終わらせました。天野先生のときと同様、手技の素晴らしさに感動すると同時に、自分も、もっと上を目指してがんばらなければと思いました。これからも現役のアスリートのような気持ちで、新しい経験を積み重ねながら成長していきたいですね。

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Dr.井上 晴洋

Dr. Haruhiro Inoue

1983年 山口大学医学部卒業、同年東京医科歯科大学第一外科、1984年 都立広尾病院心臓血管外科、1985年 九段坂病院外科、1986年 日産厚生会玉川病院、1991年 春日部秀和病院外科、1995年 米国南カリフォルニア大学(USC)外科、東京医科歯科大学第一外科助手、2001年 東京医科歯科大学第一外科講師、昭和大学横浜市北部病院消化器センター講師、2002年 昭和大学横浜市北部病院消化器センター准教授、2009年 昭和大学医学部教授、国際消化器内視鏡研修センター(SUITE)、昭和大学横浜市北部病院消化器センター兼任、2014年 昭和大学江東豊洲病院消化器センター長・教授

Dr.井上 晴洋のWhytlinkプロフィール