2017.07.06 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 植松 悟子

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 植松 悟子

Dr. Satoko Uematsu

国立成育医療研究センター
総合診療部救急診療科 医長

専門:小児救急医療

   

子どもたちの未来のために限界への挑戦を続ける Dr.植松 悟子

子どもたちの未来のために限界への挑戦を続ける Dr.植松 悟子

小児科医が診るのは
“小児”だけではなかった

 小児科医か幼稚園の先生になりたい。小学校の卒業文集にそう書いたんです。子どものくせに、子どもが好きだったんですね。でも医学部に入ってからは、わざと迷ってみようと(笑)。ポリクリでは、あえて小児科以外を回りましたが、小児科医になりたい気持ちは変わりませんでした。
 研修医時代は、ベッドサイドで学んだことが大きかったですね。患者さんの病状だけでなく、ご家族の方の雰囲気や言葉に直接ふれることで多くのことを学びました。小児科医は子どもを診る医者だと思っていたのですが、そのご両親、おばあちゃんやおじいちゃんと、きちっと向き合えないと診療にならないというか…。同じことを小児科の先生方はよくおっしゃいますが、私もそのことを肌で感じました。大人の患者さんであれば、ご本人が「こうしたい」という意思をお持ちですが、子どもの場合は、親御さんを通して私たちに伝えられることが多い。ある程度の年齢までは、家族全体が治療の対象という感じなんですね。
    
 研修終了後は、長野県立こども病院の血液腫瘍科で働くことになりました。白血病や小児がんの患者さんの治療は、現在では外来で行われる部分も多いのですが、当時は1年程度の長期入院が必要な場合も多かったんですね。それだけ長い間、主治医として子どもたちやご家族と向き合い続けることは、自分にとってはとても大きな仕事でした。たとえば小学校の高学年になると、「治療を受けたくない」という意思も出てくることがあります。患者さんの年齢に応じて、どう説明するかをご両親とも相談しながらひとつひとつ考えていく。そういうプロセスの中で、お母さんがぽろっと本音を口にされることがあって、私はそういう瞬間が好きですね。今でもすごく印象に残っているのは、「先生は、患者さんを診るドクターになってくださいね。病気を診るのではなくて」という言葉です。

これまで、なんと
恐ろしいことをしてきたのか!

 「患者さんを診るドクターになってくださいね」という言葉をもらったお母さんのお子さんは、小児がんで入院していたのですが、残念ながら命を救うことはできませんでした。テレビドラマでは、最期に静かに息を引き取る姿が描かれますが、実際は、苦しんだり痛がったりするんですね。もちろんできる限りの処置をしましたが、「医師として、もう少し何かしてあげられたのでは」という苦い思いが残りました。
 もうひとつ忘れられないのは、2年目の元日の出来事です。他の病棟の入院患者さんが心肺停止になって、当直医と私の2人だけで救命処置をすることになったんですね。処置や投薬の順番を必死に思い出しながら、なんとか対応しました。研修医時代には、急変時の救命処置を何度も体験したことがあって、「自分は完璧に対応できる」と思っていたんです。でも、よく考えてみると、当時は先輩と一緒だったので指示通りに動けばよかったんですね。このままでは医師としての役割を果たせない。救急や集中治療をもう一度勉強しようと決心しました。
 
 それまで血液腫瘍科という特殊な部門で働いていたので、まず長野赤十字病院の一般小児科で勤務した後、国立小児病院の手術集中治療部のレジデントになりました。専門的な知識と技術を学び、トレーニングをするようになると、見え方も違ってきたのを覚えています。専門家からきちっと学ぶこと、症例を数多く経験すること、の大切さを知りました。
 同時に「自分は、これまでなんと恐ろしいことをしてきたのか」と思いました。小児科医として麻酔や人工呼吸を担当してきて、「自分は何でもできる」と思い込んでいたんですね。でも、実際にはできていなかった。その事実に直面して、心が折れそうになったこともありました。それにも関わらず乗り越えられたのは、同期の存在が大きかったですね。話を聞いてもらったり、助けてもらったりするうちに、「どうすればできるようになるか」に集中できるようになって。この考え方が、その後いろいろな場所に移ったときに自分を支える力になったのかもしれません。

 

世界一流の研究者は
反論をエネルギーに変えていた!

 医師11年目、トロント小児病院に留学しました。当初は2年間の予定だったのですが、あまり成果が得られなかったので、当時上司だった宮坂勝之先生にお願いして、さらに2年間学ぶことができました。研究テーマは感染症と人工呼吸器。当時ラボのボスだったブライアン・カバナ教授は、呼吸に関する研究では世界的な権威でした。ほんとうに厳しい先生で、ミーティングの前日は徹夜で準備、ミーティング中は一瞬たりとも気を抜けませんでしたね。教授はICUも担当されていたので、カンファレンスにも同席させてもらいました。当時の自分にとって、世界レベルのICUは夢の世界。しかしこの経験のおかげでぐっと距離が縮まったというか、「自分で限界を作らず挑戦すればいい」と思えたんですね。
 また、一流の研究者の日常にふれたことも大きかったと思います。教授が研究論文を発表すると、一流の研究者の論文にも関わらず反論がたくさんくるんですよ。あるとき、教授に「追加実験をしなければいけないので、大変ではないですか?」と質問しました。教授の答えは、「それが楽しいんだよ」。これには驚きました。世界レベルの業績を出しているのに、反論を新たな研究のエネルギーに変えようとする。だからこそ、ご自身の世界を広げていけるんですね。
 
 日本に戻った翌年、小児軽症頭部外傷と画像検査に関する論文を発表しました。国立成育医療研究センターの小児救急センターを軽傷頭部外傷で受診した患者さんのデータによると、CT検査の割合は17%で、そのうち骨折や頭蓋内損傷が見つかったのは3%程度。「受傷機転や症状を十分に考慮した上で、画像検査の実施を決めることが重要」という結論に至りました。日本には世界中のCT装置の1/3があるといわれています。そのせいもあって、軽傷頭部外傷でもCT検査が行われることが多いんですね。しかし2012年には、「小児期のCT検査で発がんリスクが上昇する」という研究論文が『the Lancet』に発表されました。子どもたちの健康を守るためにも、現在PECARN(CTが不要な低リスク例の同定法の研究)による指針が日本でも妥当性があるのか、研究を行っています。

患者さんの人生を変え得る
特別な科の医師として

 国立成育医療研究センターは、難治性疾患や重症の患者さんの治療を行っているため、他院から患者さんの搬送が必要になる場合があります。その選択肢を増やすため、10年ほど前から消防庁や自衛隊の協力を得てヘリコプター搬送をしています。また、最近では民間航空会社にも協力をお願いしていて、初回の搬送では先方の担当者と200通以上メールのやりとりをしました。ほかにも、搬送時に不可欠な人工呼吸器や酸素ボンベ、モニターなどの機器をボートの上に固定して、常に持ち出せる体制をつくりました。そこまでしているのは、「搬送がネックとなって、子どもたちに医療を提供できない」という事態を避けたいからです。血液腫瘍科時代の苦い思いを、二度と味わいたくないからかもしれません。もちろん私ひとりで実現できることではなく、スタッフ一丸となって限界への挑戦を続けています。
 施設間搬送を促すには、搬送の仕組みだけでなく医師同士の連携も大事です。たとえば私が他院に患者さんの受け入れをお願いするとき、「忙しいのに申し訳ない」と感じることがあります。それは、当院に依頼される先生も同じだと思うんですよ。このような心理的な障壁をなくすには、受け入れ側がフラットな関係で対応する必要がありますが、それだけでは実現が難しいとも感じています。そこで当院では、患者さんの受け入れを行ったケースの一部で、先方の病院に出向いて合同カンファレンスを行っているんです。実際、「尋問のように矢継ぎ早に質問されて、2度と搬送したくないと思った」といった意見もありました。でも、質問をした理由を説明しながらディスカッションを重ねるうちに先方も質問の意味を理解してくださったのか、次の搬送時には、最初に必要な情報を伝えてくれるようになったケースもあります。
 
 ある先生から、「小児科は患者さんの人生を変え得るかもしれない。すごく特別な科ですね」と言われて、ハッとしたことがあります。たしかに、小さい頃に入院しなければいけない病気になった子どもが、その後やりたい仕事に就いたり、家庭をもったりできる。そのサポートをできるのが、小児科医なんですね。これからも小児救急の現場で、急性期の患者さんの全身管理をして、その患者さんが一般病棟に移れるまでのサポートを続けていきたいと思います。

ある1日のスケジュール
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Dr. 植松 悟子

Dr. Satoko Uematsu

1993年 北里大学医学部卒業、北里大学病院小児科研修医、1996年 県立長野こども病院血液腫瘍科、2000年 長野赤十字病院小児科、2002年 国立小児病院手術集中治療部レジデント、2003年 国立成育医療研究センター手術集中治療部レジデント・医員、2004年 トロント小児病院・集中治療科リサーチフェロー、2008年 国立成育医療研究センター救急診療科医員、2014年 国立成育医療研究センター救急診療科医長(現職)、日本小児科学会専門医・指導医、厚生労働省麻酔科標榜医、厚生労働省DMAT隊員

Dr. 植松 悟子のWhytlinkプロフィール