2017.09.21 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 福田 恵一

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 福田 恵一

Dr. Keiichi Fukuda

慶應義塾大学病院
循環器内科教授
医学部長補佐

専門:心筋再生医療

   

真新しいシュプールは未踏の新雪だからこそ描くことが可能になる Dr. 福田 恵一

真新しいシュプールは未踏の新雪だからこそ描くことが可能になる Dr. 福田 恵一

自分の意志を貫き通したかったから
周囲の制止を振り切って国内留学に

「大切なのは、自分が何をやりたいのかということだ。手の中にどんな道具を持っているかじゃない。道具がなければ自分でつくればいい」。慶應義塾大学で学んでいた当時、呼吸循環器内科の堀進悟先生門下として叩き込まれたこの考え方は、私の大きな支えとなりました。

心疾患の治療には遺伝子レベルでの研究が重要になるはずだという確信を抱いていた私は、同窓の先輩というつてを辿って国立がんセンターの部長におられた山口建先生にお目にかかり、「がん治療の先端技術を学ぶために国内留学をさせてほしい」と頼み込んでご快諾をいただきました。しかし、医局の力が今より遙かに強大だった時代の話です。当時の教授に希望を伝えたところ「そんな横紙破りは許さない」と激怒され、医局を追い出されてしまいました。

ただ、私は自分のやりたいことをやれるのだからと後悔は全くなかった。周囲には止められましたが、何のためらいもなく、振り切って医局を飛び出しました。1991年のことです。

国立がんセンターで学んだことは私に「10年後、必ず心疾患の治療に役立つはずだ」という確信をもたらしました。その後、ハーバード大学・ミシガン大学に留学して家族と米国生活を楽しんでいる間にかつての教授が退職され、1995年に私は慶應義塾大学に戻ることができたんです。

“再生医療”という言葉は一般に全く知られていない時代でしたが、私はそれまで学んだことから、心不全の治療には心筋細胞を増殖させる研究が有効だと確信していました。そこで骨髄のなかの間葉系幹細胞が心筋細胞に分化するということを発見し、発表。これは世界初の発見で、文字通り世界中の研究者を驚かせることができました。これが、心臓の再生医療についての世界で初めての論文となったのです。

私は、ヒットをコツコツ重ねることも重要ですが、同時に、将来につながるホームランも狙いたい。三振してもいいから思い切りバットを振ることを選ぶのが、私らしさです。誰も取り組んでいない研究に挑んでこそ、その先の成果を得ることができるんですから。

逆境こそ自分を鍛えるチャンス
その信念が壁を乗り越える力になる

心疾患の治療にがんの研究が役立つのではと考えるに至った背景には、両親ともがんで亡くしたという経験が少なからず影響しています。

ごく普通の県立高校に進学した私は、将来医師になることなど露ほども考えず、理学部か工学部に進んで科学者になりたいと思っていました。そんな時に母親が乳がんになり、大学受験に失敗した直後、父親が進行性胃がんの影響で大量吐血して入院し、輸血によってC型肝炎になりました。

私の道が変わったのは、この頃からです。

両親の病気により病院や医療関係者の存在が私にとって日常的なものになり、受験の際、半分腕試しのつもりで慶應義塾大学医学部も受験することにしたんです。それが合格という望外の結果につながりました。ただし両親が病床にあるわけですから、経済的負担の大きい医学部への進学には、なかなか踏み切れずにいたところ、「きっと縁があるんだから迷わず行け。あとは何とかなる」という周囲の言葉に背中を押されて入学を決めました。結局父は入学式に出席してくれたものの、その年の8月に亡くなってしまいましたが…。

大学3年の時には、がんの転移で母が再入院。当時は完全看護がまだ一般的ではなかったので、母を介護しながら夜は隣りに置いた簡易ベッドで眠り、昼は大学での勉強とアルバイトで過ごす、という生活を送りました。弟がいたので、その生活の面倒もみなくてはならなかったし、あの時期は本当にきつかったですね。

ただ、当時の私の心には「Adversity makes a man wise」という言葉が常にありました。「逆境は男を鍛える」というニュアンスでしょうか。

日々の生活がきついと感じた時は、この言葉を自分に言い聞かせることで、心が折れることはなかったですね。あの当時のそんな経験があるから、研究生活で壁にぶつかっても辛いと思うことはなかったです。若い時期の逆境は、間違いなく人を強くしてくれるという確信が、私にはあるんです。

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「突拍子もないアプローチだぞ!」
世界があっと驚いたブレークスルー

1995年に発見したのは、骨髄の間葉系幹細胞が分化導入剤を使うことで心筋細胞に分化する、ということでした。今から20年以上も前のことです。それからは、発見で得られた知見を心疾患の実用的な再生医療として確立するための研究に取り組むことになりました。

課題はいくつもありました。例えば、心筋細胞の純化精製。

ES細胞やiPS細胞から分化してできた心筋細胞を移植するためには、きれいに純化精製する必要があります。そこで心筋細胞とES細胞、そしてiPS細胞がどのように違う代謝をしているのかを、慶應の同期である末松誠先生と協力して調べたところ、細胞の種類によって必要とするエネルギー源が全く違うことがわかりました。具体的にはES細胞、iPS細胞はブドウ糖をエネルギー源とするのに対し、心筋細胞はミトコンドリアを利用して生きていることがわかったのです。ということはブドウ糖を含まず乳酸を大量に含む培養液にすれば心筋細胞だけを集めることが可能になるわけです。つまり、純化精製ができる。

これは大きなブレークスルーでした。

私の研究論文を読んだ全米の研究者は大変に驚き、「全く突拍子もないアプローチだ」「とんでもない発想だ」と大きな衝撃を受けたようでした。こうした発想の飛躍こそ、私の真骨頂だと自負しています。

ここに至るまで5年以上でしたが、このブレークスルーで心疾患の再生医療は実用化に向けて大きく舵を切ることができました。そのほかにも、安全で効率的なiPS細胞を樹立するためにほんのわずかな血液からTリンパ球を増殖させる方法や純化精製した心筋細胞をひとつの塊にして移植する方法、ヒトのES細胞が心筋細胞に分化するのを促すNoggin法の開発など、いくつもの課題を克服することができました。

iPS細胞との出会いも大きな出来事で、2006年に山中伸弥先生がiPS細胞をつくられた際は、その論文を研究室の全員で読んで興奮し、すぐに山中先生に電話して京都から講演にいらしていただいたほどです。

20年前に夢見た心疾患の再生医療が
遂に現実のものになろうとしている

スキーって、ありますよね。滑るスキー。

よく整えられたゲレンデで滑るスキーは楽しいですし、安全です。非常に滑りやすいですしね。

それに対して、新雪の山を滑ろうとすると大変です。雪の下にはブッシュが隠れていたり、危険な崖があるかもしれない。楽しいどころか、危ないスキーです。でも、私はそんな新雪のスキーの方を選んでしまうんです。

ゲレンデのスキーは楽しいけれど、多くの人が残した跡にまみれて自分のシュプールなんてどれだかわからなくなってしまう。しかし、新雪のスキーなら真っ白な雪の上に自分だけのシュプールを描くことができますし、そのシュプールを見て後ろから誰かが追いかけてくるかもしれません。きっと「あのシュプールを描いたのはあの人だ」と、覚えてもらうこともできるでしょう。

私は、それが研究者としての生き方だと思うのです。

しょっちゅう若い医局員たちには、そんな話をしています。もしレールの上を速く走りたいなら既に敷かれたレールを走ればいい。でも、それでは誰かと同じ目的地にしか辿り着けないでしょう。しかし、自分でレールを敷けば誰も行かないところに行くことができる。レールのないところにレールを敷くのが研究者の仕事なんです。

もちろん上手くいかないことも多いだろうし、壁にぶつかって苦しもむこともあるでしょう。しかし、そんな逆境こそが人を強くしてくれるし、上手くいっていない時こそ成長のチャンスだ、と知ってほしいと思います。

心疾患の再生医療に取り組み始めて20年以上が経ち、いよいよ来年にはヒトでの臨床も始まる予定です。3〜4年後には心筋再生医療も実用化するのではないかと考えています。

心筋梗塞などの心疾患を完治するには、今までは心臓移植しかありませんでした。心臓移植手術の年齢条件は65歳までですが、実際には60歳を超えると受けることが難しいのか現実です。ドナーも絶対数が不足しています。人工透析やTAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)など、高齢になっても受けられる治療法が開発されているのに、こと心不全については何もできずに死んでいくしかないのがこれまででした。そうした現実が、あと少しで変わります。

心不全は間もなく治る病気になる。そんな時代がやってくることを、私は確信しています。

ある1日のスケジュール

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Dr. 福田 恵一

Dr. Keiichi Fukuda

1983年 慶應義塾大学医学部卒業、1987年 慶應義塾大学大学院医学研究科(循環器内科学)修了、1987年 慶應義塾大学助手、1991年 国立がんセンター研究所に国内留学、1992年 米国ハーバード大学ベスイスラエル病院分子医学教室留学、1994年 米国ミシガン大学心血管研究センター留学、1995年 慶應義塾大学医学部循環器内科助手、2005年 慶應義塾大学医学部再生医学教授、2007年 医学部長補佐、北里記念医学図書館長、2010年 循環器内科教授

Dr. 福田 恵一のWhytlinkプロフィール