2017.11.09 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 糸井 隆夫

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 糸井 隆夫

Dr. Takao Itoi

東京医科大学病院
消化器内科主任教授

専門:消化器内視鏡・消化器病・内科・膵臓・胆道・がん治療

   

後世に残るような画期的な診断法・治療法を開発したい Dr. 糸井 隆夫

後世に残るような画期的な診断法・治療法を開発したい Dr. 糸井 隆夫

医者になること以外
想像したこともなかった

医者の仕事をきちんと理解していたわけではないのですが、小学生の時の文集には「将来の夢は医者になること」と書いていました。母が近所の総合病院で、臨床検査技師として働いていた影響が大きかったのかもしれません。学校が終わると病院に行き、お医者さんや看護師さんなどに遊んでもらっていましたから。病院という環境の中にいるのはごく自然なことでした。強いていえば、5年生の時に、盲腸で、その病院に入院した経験が、医師を選ぶ後押しになったのかもしれません。いずれにしても、医療の仕事に比べると、サラリーマンの父の仕事は、よくわからなかったし、楽しそうにも見えなかった(笑)。

医学部に合格すると、まず、体育会の剣道部に入部。剣道は小学生の時からのキャリアです。当初は外科医志望でいたが、外科の手術は麻酔科をはじめ大勢の人手が必要。できれば、どこに行ってもひとりで生きていけるような医師になりたかったので、内視鏡がいいかなと思い、最終的に消化器内科を選んだような気がします。

大学院生の時に新潟大学の病理学教室の研究生になりました。当時は、それが東京医科大院生の定番コース。ここで、医師としての生き方に強い影響を受けた第一病理教授、後に名誉教授になられた渡辺英伸先生に出会いました。

先生から研究テーマの選び方、論文の書き方、研究のやり方など研究者としての基礎を学びましたが、もっとも影響を受けたのは、研究者として、医師としての姿勢。先生は、よく「クリエーション」という言葉を使っていました。新しいことを創造していく喜びを知り、そのために情熱を注いでください、というわけです。

内心、そんな道を追求できるのは才能に恵まれた特殊な人たちだろうなと思っていました。でも、繰り返し聞くうちに心に染み込んでいたのかもしれません。いつの間にか、自分も「クリエーション」を目指そうとして、新しい試みに情熱を傾け、がんばってチャレンジする医師になっていました。

超音波内視鏡にいち早く挑戦し、
世界一の施設の地位を獲得

大学を卒業した頃の消化器科は、「胃」「大腸」「肝臓」「胆道」「画像診断」の5つの班に分かれていました。私の所属は「画像診断」。選んだ理由は画像を使った診断や治療といった手技的なことをやりたかったから。

画像診断の対象は肝胆膵だったので、肝胆膵全般をみるようになり、次第に、それらの臓器を含む新しい診断や治療にチャレンジしたいと考えるようになっていった。そんな時に、大きなチャンスがやってきました。それが医師としてのターニングポイントだったといえるかもしれません。

2000年頃。ちょうど、私が胆膵グループを任されるようになった時ですね。私の前任の主任教授だった森安史典先生が「超音波内視鏡下穿刺吸引法(EUS-FNA)をやらないか?」と勧めて下さったのです。EUS-FNAは、超音波内視鏡を使って胃とか十二指腸から入り、後ろの膵臓に針を刺して組織を取ったりする治療・診断方法。ふつうの体外式腹部エコーと違って、より近くから拡大するので5ミリ程度の腫瘍でもみつけられるし、ドレナージもできる。

当時は画像診断がブームで、十二指腸などから膵管や胆管にカテーテルを入れて画像撮影する内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)などに積極的な医療機関が多かったのですが、針を何度も刺せば、がん細胞をばらまく恐れがあるとEUS-FNAに取り組んでいるところは、ほとんどなかった。

しかし、欧米では当時すでに10年も前から取り組んでいる診断・治療法。昔から興味があったので、「ぜひ、やらせてほしい」と即答(笑)。まず、EUS-FNAを導入している愛知のがんセンターの山雄健次先生を訪ね、その後は、先進的な取り組みをしているアメリカのサウスカロライナ医科大学のロブ・ホーズ教授の下で3週間みっちり勉強。帰国後、自分でも試行錯誤を重ねてEUS-FNAを研究し、今では東京医科大学は世界でトップの施設に育ったばかりか、世界中の医療機関から学びに来る施設にもなりました。

消化器内科の若手スタッフたちと。スタッフたちも育ち、今では出張で数日留守にしても医局がまわるようになってきた

歴史をひもといた
レジデント時代の勉強法

レジデント時代、一緒に回った連中のなかでは間違いなく一番勉強していました。患者さんの疾患に出会った後は、図書館にこもって、その疾患の治療の歴史まで調べ…。歴史を調べれば、その疾患のどこに着目して、どのように治療法を確立してきたのかがわかるし、ひとつの疾患を多様な角度から眺めるようになる。すると最先端の医療で欠けている部分にも気付き、研究すべきテーマも浮かび上がってくる。

このように調べた文献の束を、昔はファイル形式だったので、患者さんのカルテの裏に入れておき、退院したら、それを自分のファイルに入れ替える。この繰り返しでしたね。

気になるのは、今のレジデントは文献を読まないこと。目の前の治療で手一杯で、歴史はもちろん、最先端の治療法は何かも知らない。今の時代、朝まで飲みに付き合わされることもないんだから「もっと勉強しろ!」と言いたい(笑)。

私にとって努力が辛くなかったのは、「自分の家族」のつもりで患者さんに接していたから。「家族」が病気だったら、誰だって一刻も早く一人前の医師になろうと努力するはずですよね。現在でもその想いは同じです。たとえば目の前の患者さんにがんの疑いがある場合、「しばらく様子をみましょう」とか「検査が混んでいるので数ヵ月待ってください」などと答えるケースは少なくないでしょう。でも、それが家族だったら、そんな悠長なセリフは出ないはず。最善の治療に取り組むためにも、常に患者さんを「家族」と考える。

もっとも自分ひとりでは、助けられる患者さんの数はたかが知れています。日進月歩の診断法や治療法をひとりでも多くの医師に身に付けてもらうために、講師として、あるいは客員教授として、他大学の医学部に教えにも行きます。後進を育て、私がいなくてもまわるようにすることが目標です。自分の教室では、「胆・膵」「肝臓」「消化管」の3つのグループが連携し合って治療にあたれるような仕組みづくりに取り組んだり、効率的に一人前になれるよう、開業医の跡を継ぐ人、大学に残る人で教育の重点を変えたりしています。

海外での公開ライブは100回以上
課題は自分の後進を育てること

「クリエーション」を目指して新しいことに積極的に取り組んできたことで人脈も広がり、仕事の幅も広がっていった。ガイドライン作成メンバーに加わってほしいと声がかかるようにもなりました。

非常に思い出深かったのは『急性胆管炎・胆嚢炎診療ガイド2013』。急性胆管炎に関するエビデンスは、世界でもあまりなかったので、臨床行為のデータベースの積み上げからのスタートというプロジェクトでした。実際の作業は2年くらいでしたが、会議は多いし、会議出席にあたっては膨大な資料を読まなくてはならない。本当に大変でしたが、やりがいもあたったし、知識のブラッシュアップもできた。40代前半のもっとも大きな仕事だったと思います。

医師として目指しているのは、後世に残るような診断法や治療法などを新しく開発すること。そのために、様々な挑戦をしています。

最近、開発したのは、道具さえあれば、だれでもできる超音波内視鏡下で行う胃空腸吻合術の手技。胃空腸吻合術は、がんなどで狭くなり食物が通りにくくなった消化管を通らずに新しい道をつくる、いわゆるバイパス手術です。これぞ画期的! ぜひ、世界中に広がってほしいと思い、英語の論文にまとめました。

かなり斬新な内容として、2014年の『GIE』に取り上げられ、表紙にも採用されました。これは非常にうれしかった。『GIE』は、世界的に非常に権威のあるアメリカの消化器内視鏡学会誌ですからね。これまでに合計7回もGIEの表紙を飾りました。これはちょっとした自慢なんですよ(笑)。

すでに手術は実用化の段階に入りました。『GIE』でも注目を集めているので、世界中から手術をしているところが見たいというオファーが入ってくるようになりました。現地に行くと患者さんが用意されていて、そこで手術をして、その映像が生中継で関係者に流れるという仕組みです。

先週はムンバイ、今週は台湾、来週はフロリダで行うといった状況で、すでに行ったライブは100回以上。大変だけど、ライブは楽しいですね。レクチャーや講演のためだけなら、日本から中継すれば十分なので、海外にまで行かなくともなんとかなる。でもライブであれば患者さんのために行かなければならないし、その患者さんを治療により幸せにできるから、喜んでやりに行きます。

マグロは泳いでないと死んでしまう。私も同じです。だから、ずっと仕事をやり続ける。とにかく楽しいんですよ。

ところで、「自分はこういう医師になりたい」と目指すべき医師の姿が明確な人は、実は少数派ではないでしょうか。

今は選択肢が豊富ですが、明確に進路が決まっていない人は、無理に自分で決めるのではなく、自分が尊敬する上司の言うことを聞いてみる。断らない。というのも一手です。

たとえば、その上司にアメリカに行けと言われたらアメリカに行く。地方のあの先生の下に行けといわれたら行く。私の場合は、そうしてきたことで、様々な恩師に出会い、自然に道が絞られてきました。

そして、自分が扱った症例について、一本でもいいからきちんとした論文を、できれば英語で書いておく。もし、珍しい症例を扱った場合は、絶対に書いてください。それが世界への門戸を開ける鍵になると思います。

ある1日のスケジュール

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors InterviewsWhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews

Dr. 糸井 隆夫

Dr. Takao Itoi

1991年 東京医科大学卒業、同年 東京医科大学第4内科入局、1993年 新潟大学第一病理学教室研究生、1995年 東京医科大学大学第4内科臨床研究医、1996年 医学博士、2001年 東京医科大学同助手、2006年 東京医科大学消化器内科(第4内科)講師、2010年 東京医科大学消化器内科准教授、2016年 東京医科大学消化器内科主任教授
この間、昭和大学横浜北部病院消化器病センター兼任講師、国立がんセンター内視鏡部非常勤職員、中国南京医科大学客員教授、無錫人民医院消化器内科名誉主任、筑波大学光学診療部非常勤講師、慶應義塾大学消化器内科特任准教授(非常勤)、東京医科歯科大学消化器内科客員教授・臨床教授、慶應義塾大学消化器内科客員教授などを兼任

Dr. 糸井 隆夫のWhytlinkプロフィール