2019.02.18 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 温泉川 真由

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 温泉川 真由

Dr. Mayu Yunokawa

がん研有明病院
総合腫瘍科 兼 婦人科 副医長

専門:腫瘍内科(婦人科)

   

家庭と両立させる二児の母 責任と信頼が勤めを果たす武器 転科で独自路線を切り拓く Dr. 温泉川 真由

家庭と両立させる二児の母 責任と信頼が勤めを果たす武器 転科で独自路線を切り拓く Dr. 温泉川 真由

分単位、秒単位で決断を迫られ
産婦人科医として鍛えられた10年間

学生時代は、部活やアルバイト、勉強で充実していた大学生。現在は、産婦人科の土台を持ち、薬物療法専門医として、がん研有明病院に勤めています。女性として、出産、育児を経て職場復帰できるとは当初思っていませんでした。主人が理解してくれたことが大きかったです。そのため「ご主人えらいね」と褒められるのはいつも主人の方(笑)妊娠期間は元気で、産休直前まで働いていました。産休に入ってから復帰できるか不安はありました。特に2人目の出産は、常勤医師になっていたので周りへ迷惑をかけたと思っています。外来・病棟を代行してくれた先生方には今でも感謝しています。産休明けて職場復帰する際には、すぐに保育園が見つからず、民間保育園に2か月入園させ、その後に区立に移ったなどの苦労もありました。

産婦人科には、10年間勤務していました。産婦人科を選んだ理由は、手術をしたかったのと、若い世代の患者さんに関わりたかったからです。若い世代に関わりたかったのは、未来により可能性のある方たちを治したかったからです。周産期医療や分娩に立ち会う現場は感動的でした。しかし、その一方で緊張感もありました。

通常、手術では複数の医師と相談しながら進めることができます。内科の診療は急変しても冷静に対応できる時間的余裕があるかもしれません。しかし、分娩は多くの場合に医師1人で立ち会います。分娩中は分単位、秒単位で胎児の状態が変わります。その瞬間にどうするか、決断を迫られるスピードが非常に早い。それがやりがいにもなるかもしれませんが、私にとってはプレッシャーを感じる場面でした。トラブルの起こった際に自分1人で対応できるのか疑問で、周産期医療を生涯続けていくのにハードルを感じました。

異端でも一歩踏み出した転科
恩師たちの応援で道が拓ける

産婦人科から腫瘍内科に科を変えたことは、大きな転機でした。腫瘍内科という選択肢をくれたのは、日本医科大学武蔵小杉病院にいる勝俣先生です。悪性腫瘍の診療では、治すことばかりではなく人の痛みや死に直面する場面も多いです。広島にいた当時、今の知識だけでは不十分と悩んでいた折に、緩和ケアの講演に出席しました。講演者はがんセンターの緩和ケアの部長で、講演後に症例を相談していたら、見学に誘われました。

実際に緩和ケア科の見学に行ったところ、多業種が関わり合い、出身科の異なる医師が専門分野を生かして議論されていました。緩和ケア科はコンサルテーション科でしたので、各病棟をラウンドしています。その一病棟にたまたまいらっしゃった勝俣先生にご紹介いただき、お話を伺う中で「腫瘍内科も面白いよ」と声をかけられました。当時の自分は「腫瘍内科」という学問も知らず、婦人科薬物療法の大家である「勝俣先生」も存じ上げませんでした。ただ、不思議に「面白そうだなあ」という興味だけ残りました。今思うと、余程悩んでいたのか、無計画なのか、広島に帰った後にすぐに勝俣先生に連絡を取り、腫瘍内科の見学に行きました。腫瘍内科のカンファレンスは衝撃的でした。それまで外科系である産婦人科はトップダウンで指示を受ける立場でしたが、その腫瘍内科のカンファレンスは違いました。レジデントの先生方がプレゼンテーションをして、そこに複数のスタッフの先生方が総攻撃するように意見を述べる。さらに、その意見にレジデントの先生が自分の考えを論じていく。同年代か自分より若い先生方がやたら自信満々で議論をしている姿に本当に恐れをなしました。勝俣先生にその感想を伝えると、「議論は厳しく、人には優しくだよ」とおっしゃって、妙に心に響いたのを覚えています。

2日間の研修で「もう少し勉強してみたい」という気持ちをもったまま広島に帰りました。今振り返ると、勝俣先生が何気なく誘ってくれたことがきっかけになっています。本当に何気なかったんだと思いますが、悩んでいた自分には大きい言葉でしたし、勝俣先生が選択肢を与えてくれたことに感謝しています。腫瘍内科に移ってからは、案の定、厳しい環境、議論の矢面に立つ側になり、毎日毎日が大変でしたが、後にも引けず「もう少し」が長い道になってしまいました。

診療科を移ることは積極的にはおすすめできません。医局の中で経験を重ね、局や下の世代に還元していくのが多くの方のキャリアの流れと言えるかもしれません。ただ、当時十分気づいていなかった医局の大切さを今では感じています。そこから、ぽんと出るのは異端。当時、転科、離局と言ったら周囲から止められる程、ハードルの高さを感じるものでした。

そんな時に、広島から背中を押してくれた先生が1人いました。四国がんセンターの部長で3年間ほど私に指導をしてくれた方です。若くして他界されてしまいました。当時、ご自身の立場もある中で、東京への推薦状を書いてくださったことには感謝しています。

また、私は最初から器用に学んでいける方ではありませんでした。周りから数えきれない程怒られて、教わりながら、成長してきました。2人の恩師を含め、様々な場所でお世話になった先生方がいます。

自分にとって腫瘍内科へ転向したのは、今振り返れば良い選択だったと思います。自分の実力以上のことに様々挑戦でき、何らかの声をかけてもらう機会やチャンスが生まれました。

霧の晴れない腫瘍内科で
時折つかめる一縷の望み

化学療法の世界ではエビデンスやガイドラインに従って処方や治療を行うため、治療の選択や副作用の管理での差はありますが、外科の先生方ほど、医師個人の技量に依拠するわけではありません。手術であれば、医師の技量に左右されることもあるでしょう。そのため、手術に比べれば診療を通じて「自分の裁量で治せた」という達成感は得にくいです。

診療では常に患者さんとの会話に緊張があります。生死の関わる領域だけに厳しい対応をしたり、相手が聞きたくないことを言ったりしないといけません。また、多忙な業務の中で頭の片隅で他のことを考えながら診療をしてしまうと、患者さんは敏感に感じとり、不信感にもつながりかねません。今でも落ち込むことは多いです。

ただ、治療結果の良し悪しに関わらずご本人やご家族から御礼を言っていただけた時、診療を離れてもお電話や、わざわざ会いに来てくださったりするご家族の言葉をいただいた時には、心があたたまり、「よし頑張ろう」と思えるようになります。

様々な患者さんとの関わり合いがある中で、おひとり「あの時頑張ってもらえて良かった」と印象に残っている患者さんがいます。卵巣がんでステージⅣ期の方が、集中治療室への入室を経ながら、当初は治るとは言い切れない状態から、手術も抗がん剤治療も頑張って受けられて飛躍的に改善されました。16年経った今でもご存命です。毎年、年賀状やみかんを送ってくださいます。症状の深刻化した方でもこうやって元気に暮らしていらっしゃるのだと手紙を読む度に思い出されます。

人生のロールモデルなんてない
自分なりの「基軸」を決める

医師としてロールモデルを求める方がいるかもしれません。自分の経験から言えば、探してもあまりぴったりとくることは無いように思います。特に女性は良くも悪くも選択肢が多い。家庭環境がどうか、どんな職場や上司に当たるか、どんな人と結婚するか、妊娠出産をするかで変わってきます。ロールモデルを模索するより、自分なりの「基軸」を決めてそれに沿っていくしかないと思います。

私は責任感と割り切り、give and takeを心掛けるようにしています。責任感と割り切りは相反するようにも聞こえます。しかし、医師も人間です。仕事でも人間関係でも時間でも、どこかで割り切らないとやっていけません。ただ、責任感をおろそかにすると、すぐに周囲からの信頼をなくします。家庭内でも職場でも一方に負担をかけすると関係が壊れますから、give and takeで、たとえば時間外をカバーしてもらったら、時間内の代行で返すというように、なるべく出来ることは受けるようにするなど気を付けています。といっても、不十分な点も多いので、努力している、といったところでしょうか。

今後の目標は、自分の専門性を活かすことです。

私は、産婦人科と腫瘍内科、両方を経験してきました。がんの診療でも、妊孕性温存や妊娠とがん、治療による卵巣機能低下による更年期障害など、人生の選択、QOLの維持などで悩む患者さんもいらっしゃいます。産婦人科のベースを持った薬物専門療法専門医ならではの診療ができるように、悪性腫瘍のみに偏らず、産婦人科の知識も取り入れるようにしています。

また、現在勤めるがん研有明病院は、全国の中でも症例数が多く、それだけに内部や外部に対して大きな影響を与えます。腫瘍内科の立場から、しかし、婦人科に近い立ち位置で、婦人科の薬物療法の課題に取り組んでいきたいです。今後はこれまで頂いたものを還す側に回っていきたいと思います。

ある1日のスケジュール

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Dr. 温泉川 真由

Dr. Mayu Yunokawa

1998年 広島大学 医学部 医学科卒業 1998年 聖路加国際病院 産婦人科レジデント 2000年 独立行政法人国立病院機構 四国がんセンタ- 婦人科 2003年 広島大学 産婦人科 大学院 2007年 国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科 がん専門修練医、リサーチレジデントを経て医員 2017年 がん研有明病院 総合腫瘍科 兼 婦人科 副医長